最高裁判所第三小法廷 平成3年(行ツ)208号 判決 1992年10月06日
上告人
佐藤征一
同
小林保
同
村井くみ
同
清水ふみ
同
岡島澄雄
同
岩田憲昌
同
伊藤信一
同
塚本鋼
同
松岡竹吉
同
加藤冨士夫
同
梶田倍已
同
跡見静
同
伊藤鈴一
右一三名訴訟代理人弁護士
野島達雄
山本秀師
打田正俊
在間正史
中村弘
被上告人
春日井市
右代表者
鵜飼一郎
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人野島達雄、同山本秀師、同打田正俊、同在間正史、同中村弘の上告理由について
本件訴えを不適法とした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論は、違憲をいうが、その実質は単なる法令違背を主張するものにすぎず、原判決に法令違背のないことは右に述べたとおりである。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官園部逸夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官園部逸夫の補足意見は、次のとおりである。
私は、原判決が、最高裁判所昭和三七年(オ)第一二二号同四一年二月二三日大法廷判決(民集二〇巻二号二七一頁)に従い、土地区画整理事業計画決定を抗告訴訟の対象とすることができないとの理由により、本件訴えを不適法とした点については、異存はなく、したがって、右判断を正当として是認した法廷意見に賛成するものであるが、右大法廷判決が、「事業計画の決定ないし公告の段階では、理論上からいっても、訴訟事件としてとりあげるに足るだけの事件の成熟性を欠くのみならず、実際上からいっても、その段階で、訴えの提起を認めることは妥当でなく、また、その必要もないとしたものと解するのが相当である。」と説示している部分に、この種の行政計画一般について、処分性を認めないことが、理論上も実際上も妥当であるという含意があり、また、そのように理解すべきものであるとすれば、その点については、私は、かねて疑問を抱いているので、補足的に私の見解を述べておきたい。
事件の成熟性ということは、理論上は、理解しやすいが、具体的にどのような基準で成熟性を判断するのかは、必ずしも明確とはいえない。また、事業計画の段階で訴えの提起を認めることは妥当ではなく、また、その必要もないという立論については、なぜそうなのか、右大法廷判決の多数意見からは、その理由付けを明確に読み取ることは困難である。私は、右のような理由のみでは、この種の行政計画について訴えの提起そのものを否定することはできないと考える。
私は、本件事業計画のような事業の青写真(設計図)たる性格を有する計画であっても、立法政策としては、不服申立てや訴えの提起など、救済手続を設けることによって、その行政処分としての性格を明確にすることは可能であると考える。当該計画の行政処分性については、理論上はともかく、立法上は、当該計画についてどのような救済手続を設けるのが、国民の権利利益の保護に資するかという観点から、当該計画を位置付けるのが妥当であり、それらの手続規定の存在によって、当該計画の行政処分性を個々に判断すべきである。
もっとも、行政計画について、救済手続を計画の段階に置くか、あるいは、更に後続の行為の段階に譲るかは、計画の段階に置かなければ、救済の実効性を欠くことになるなど特段の事情がない限り、立法政策にゆだねられているものと解する。
最高裁判所昭和五九年(行ツ)第三一八号同六一年二月一三日第一小法廷判決(民集四〇巻一号一頁)は、市町村営土地改良事業の施行の認可について行政処分性を認める前提として、土地改良法に定められている事業計画段階の救済手続の存在を根拠にして、土地改良事業計画決定の行政処分性を認めている。私も、右の手法を是とするものであり、土地区画整理事業計画決定の行政処分性については、立法政策上、事業計画段階に救済手続を置いていないこと、また右救済手続を置いていないことが、利害関係人を救済する機会を全く剥奪するものでないことに着目して、本件事業計画決定には行政処分性を認めなければならない必要性がないと判断するのである。
(裁判長裁判官佐藤庄市郎 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄)
上告代理人野島達雄、同山本秀師、同打田正俊、同在間正史、同中村弘の上告理由
原判決は、本件事業計画の決定は、未だ行政処分性に欠けて抗告訴訟の対象とはなりえないとし、本件訴えを却下した第一審判決に対する控訴を棄却した。
しかしながら、本件事業計画の決定は、抗告訴訟の対象となるものである。原判決は、抗告訴訟の対象についての判断を誤り、訴訟による救済の途を不法に閉ざしたものであるから、国民の裁判を受ける権利を保障した憲法三二条に違反し、また、司法権を行い一切の法律上の争訟を裁判するという裁判所の任務に違背した点において憲法七六条一項、裁判所法三条一項に違反し、さらに、行政事件訴訟法三条一項の抗告訴訟の解釈を誤ったものである。
原判決には、右憲法三二条、七六条一項の違背があり、また裁判所法三条一項、行政事件訴訟法三条一項の違背があってそれが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は、民事訴訟法三九四条により破棄されるべきである。
以下、その理由を詳述する。
第一ないし第三<省略>
第四、原判決は、処分性を広く認めてきた判例の流れに反している
一、最高裁昭和六〇年、六一年の各判決
原判決は、土地区画整理事業の事業計画の決定を抗告訴訟の対象とすることはできないとし、最高裁判所大法廷昭和四一年二月二三日判決、民集二〇巻二号二七一頁を引用している。
しかし、この最高裁大法廷判決は、八名の多数意見に対し、五名の反対意見が付されていることに示されているように、もともと最高裁判所においても異論が強かったものであり、またその後の判例の流れ、特に、最高裁判所第三小法廷昭和六〇年一二月一七日判決、民集三九巻八号一八二一頁、同第一小法廷昭和六一年二月一三日判決、民集四〇巻一号一頁からすると、今日ではもはや維持できないものであって、右最高裁判決により事実上修正または変更されていると考えなければならない。
原判決は、右最高裁昭和六〇年判決の場合は、土地区画整理組合の設立認可は、これによって地域住民が単なる付随的な効果ではなく、法律上当然に組合員となり、その受ける権利や義務から、その行政処分性を認めうる場合であって本件とは事案を異にするとし、また、右最高裁昭和六一年判決の場合は、市町村営の土地改良事業の施行の認可について、土地改良法上の明文の規定(八七条六、七、一〇項)からその行政処分性を認めうる場合であって本件とは事案を異にするとしている。
しかしながら、右二つの最高裁判決は、前記大法廷昭和四一年判決に準拠して処分性を否定した第一審判決、控訴審判決を破棄、取消したものであり、右大法廷判決と実質的に矛盾している。最高裁の昭和六〇年判決、昭和六一年判決によれば、本件についても当然に処分性が認められるべきである。原判決は、右二つの最高裁判決は本件とは事案を異にするというが、何ゆえに事案を異にするというかについての検討を欠いており、土地区画整理法(土地区画整理事業法ではない)及びこれに関する判例の理解が十分でない。
1、最高裁昭和六〇年判決
まず、土地区画整理組合の設立認可の処分性について、最高裁昭和六〇年判決の控訴審判決である大阪高等裁判所昭和五七年六月九日判決、行集三〇巻二号二五五頁は、次のように述べて、前記最高裁大法廷昭和四一年判決多数意見の理由づけを踏襲していた。
「原告は被告市長のなした被告組合設立認可処分の無効確認を求めているが、これを許す明文の規定がないうえに法一四条一項により認可がなされた段階では、事業計画が決定されているにすぎず、事業計画は当該土地区画整理事業の基礎的事項を一般的、抽象的に決定するものであり、いわば当該土地区画整理事業の青写真にすぎないものである。そうすると、被告組合の設立認可処分がなされても、未だ原告の権利に対して直接具体的な変動を与えるものではないから、争訟の成熟性を欠くのみならず、実際上もこの段階で訴えの提起を認める必要性もないから右訴えは不適法である(最大判昭和四一年二月二三日民集二〇巻二号二七一頁参照。)」
前記最高裁大法廷昭和四一年判決を前提とする限り、土地区画整理組合の設立の認可についても、この判決が述べるように処分性がないと解するのが自然な解釈であろう。土地区画整理組合の設立の認可も、事業計画の決定も、当該事業の計画を確定させるという点において全く共通しているからである。
しかし、右最高裁昭和六〇年判決は、右原判決を破棄し、土地区画整理組合の設立の認可の処分性を認め、控訴審判決及びこれと同旨の第一審判決を破棄、取消した。同判決は、次のように言う。
「土地区画整理組合の設立の認可は、単に設立認可申請に係る組合の事業計画を確定させるだけのものではなく、その組合の事業施行地区内の宅地について所有権又は借地権を有する者をすべて強制的にその組合員とする公法上の法人たる土地区画整理組合を成立せしめ、これに土地区画整理事業を施行する権限を付与する効力を有するものであるから、抗告訴訟の対象となる行政処分であると解するのが相当である。」
「組合設立の認可により土地区画整理組合が成立すると……組合員は、組合役員及び総代の選挙権、被選挙権及びその解任請求権、総会及びその部会の招集請求権、総会及びその部会における議決権、組合の事業又は会計の状況の検査の請求権、総会、その部会及び総代会における議決等の取消の請求権等の権利を有するとともに、組合の事業経費を分担する義務を負うものであるから、土地区画整理組合の成立に伴い法律上当然に右のような組合員たる地位を取得せしめられることとなる事業施行地区内の宅地の所有権者又は借地権者は、当該組合の設立認可処分の効力を争うにつき法律上の利益を有すると解するのが相当である。」
ところで、市が施行する土地区画整理事業においても、事業計画の決定は、単に当該事業の計画を確定させるだけのものではなく、その施行地区内に宅地の所有権等を有する者に対し、減歩その他土地区画整理法上の種々の権利制限を受ける地位に立つことを確定させるものである。春日井市内の宅地の所有権等を有する者であればそのことだけから、言い換えれば市対市民という関係だけからおよそ一般的、抽象的に「春日井市が施行する土地区画整理事業により土地区画整理法上の種々の制約や権利制限を受ける地位にある」ということになるものではない。市が個々の土地区画整理事業について所定の手続を経て事業計画を決定することにより、個別具体的な宅地の権利者を対象として事業を施行していく権限が市に付与されるものである。従って、市が施行する土地区画整理事業の事業計画の決定は、個別具体的な宅地権利者を対象として右事業を遂行していく権限を付与すること、換言すれば、個別具体的な宅地権利者が土地区画整理事業に伴う種々の制約や権利制限を受ける地位に立つことを確定させることにおいて、土地区画整理組合の認可と全く同様なのである。右最高裁昭和六〇年判決は、その形式論理はともかく、土地区画整理事業の事業計画を確定させる行為に処分性を認めたのであるから、実質的には最高裁大法廷昭和四一年判決を修正または変更するものである。
とりわけ、本件のように、土地区画整理事業の施行地区への再編入自体に対して不服を申立て、それを抗告訴訟の理由としている場合においては、最高裁昭和六〇年判決の論理があてはまる。このような再編入を決定づけたのは、まさに、本件事業計画の決定である。本件事業計画の決定により、原告らが権利を有する宅地は、施行地区に再編入され、上告人らが土地区画整理法上の減歩その他の制約、権利制限を受ける地位に立たされることが確定したのである。この意味において、本件事業計画の決定は土地整理組合の設立の認可と全く同じ性格を有しており、何ら異なるところはない。従って、右最高裁昭和六〇年判決からすれば、本件事業計画の決定は、抗告訴訟の対象となるに十分な紛争の成熟性を有するに至っているものである。原判決は、最高裁昭和六〇年判決が本件とは事案を異にするものであって適切ではないというが、むしろこれは本件に最も適切な判例であると言えよう。
2、最高裁昭和六一年判決
次に、町営の土地改良事業の施行の認可について、最高裁昭和六一年判決の第一審判決である神戸地方裁判所昭和五八年八月二九日判決、行集三四巻八号一四六五頁は、次のように述べて、やはり、前記最高裁大法廷昭和四一年判決多数意見の理由づけを踏襲していた(控訴審判決である大阪高等裁判所昭和年月判決、行集三五巻八号一三三六頁も全く同様)。
「土地改良事業の施行の認可は、その対象となる事業計画そのものが、単に施行区域を特定し、これに含まれる土地の地積、当該区域の現況、当該事業の一般計画、換地計画を定めるために必要な基本的事項、事業費の総額等、土地改良事業の基礎的事項を法及び同法施行規則の定めるところに基づき、農業の生産性の向上、農業総生産の増大、農業生産の選択的拡大及び農業構造の改善を目的とする高度の行政的、技術的裁量によって一般的、抽象的に定めているにすぎないものである。従って、右事業計画は、特定の個人に向けられその権利義務に直接影響を及ぼす具体的処分とは異なり、いわば、当該土地改良事業の青写真たる性格を有するにすぎないものと解すべきである。そして、右事業計画について施行認可がされても、これにより、事業計画が確定されたにすぎず、前記の青写真たる性格は何ら変わるものではないから、本件認可は、たとえその公告がされた段階においても、抗告訴訟の対象となる行政処分には当たらないものというべきである(最高裁昭和四一年二月二三日大法廷判決、民集第二〇巻第二号二七一頁参照)。」
「経費の支払義務は、別途なされる賦課処分の法的効果として発生するものであって、施行認可の法的効果ではなく、また、換地計画の策定と換地処分への手続の進行は、それ自体では具体的な権利義務の変動に当たらないことは明らかである。更に、施行認可の公告後土地の一定の形質変更に関して損失補償が受けられなくなることの法的効果は、具体的には都道府県知事のこれらの行為に対する不許可によって発生するのであって、施行認可の法的効果ではないうえ、仮に、右効果が施行認可の公告によって発生するとしても、これは、当該事業計画の円滑な遂行に対する障害を除去するための必要に基づき、法が特に付与した公告に伴う付随的効果にすぎないから、結局、こうした損失補償を受けられなくなることは、施行認可又は公告そのものの効果として発生する権利制限とはいえない。」
前記最高裁大法廷昭和四一年判決にまことに忠実な判断である。最高裁大法廷昭和四一年判決多数意見を前提とする限り、このような解釈がなされるのは当然であろう。
しかし、最高裁昭和六一年判決は、次のように述べて、控訴審判決、第一審判決を破棄、取消した。
「土地改良事業は、国営又は都道府県営であるか市町村営であるかによって特別その性格を異にするものではないところ、市町村営の土地改良事業において、右に述べた国営又は都道府県営の土地改良事業における事業計画の決定に対応するものは、当該市町村の申請に基づき都道府県知事が行う事業施行の認可である。右事業施行の認可も、当該事業施行地域内の土地につき土地改良事業を施行することを認可するもので、公告すべきものとされ(土地改良法九六条の二第七項)、右公告があった後における土地の形質の変更等についての損失は原則として補償しなくてもよいものとされており(同法一二二条二項)、右事業施行の認可があったときは工事が着手される運びとなるのであって、右の事業計画の決定と事業施行の認可とは、土地改良事業の一連の手続の中で占める位置・役割を同じくするのである。そうすると、右事業施行の認可も、行政処分としての性格を有し、取消訴訟の対象となるものといわざるを得ず、前記のように、国営又は都道府県営の土地改良事業における事業計画の決定が本来取消訴訟の対象となり得るものであることを当然の前提とした規定を置く土地改良法は、市町村営の土地改良事業における事業施行の認可についても、それが取消訴訟の対象となることを認めているものと解せざるを得ない。」
この最高裁昭和六一年判決について、原判決は、土地改良法上の明文の規定から、行政処分性を認めうる場合であるとしているが、土地改良法上不服申立てについての明文の規定があるのは、国営、都道府県営の土地改良事業の規定についてであり、市町村営の土地改良事業については、不服申立てについての明文の規定は存在しない。それにもかかわらず、最高裁昭和六一年判決は、国営・都道府県営の土地改良事業の事業計画の決定と、市町村営の土地改良事業の施行の認可は、一連の手続の中で占める位置・役割を同じくするという性格論から、後者の処分性を認めたものである。この論理によれば、土地改良事業以外の事業の事業計画の決定や認可についても、土地区画整理事業のように土地改良事業と類似の性格ないし位置づけができるものである限り、処分性を肯定できるはずである(小高剛、判例評論三三五号二七頁参照)。その意味において、右最高裁昭和六一年判決は、実質的には最高裁大法廷昭和四一年判決を修正、変更するものであると言わなければならない。たとえば、島田清次郎(法務省訟務局付検事)は「本判決は、市町村営の土地改良事業の施行認可の処分性を肯定する理由として、法の規定のし方に言及した上、それに引続き公告に伴う効果についても言及し、実質的判断を行っているが、それは青写真判決の判断とかなり抵触するものである。したがって、本判決は、法の規定のし方に処分性を認める根拠を置きつつも、実質的には青写真判決を変更したものと触される」としているが(昭和六一年行政事件判例解説三三九頁)、このような理解が、最高裁昭和六一年判決の正しい受けとめ方である。
3、以上の点からみて、原判決が引用する最高裁大法廷昭和四一年判決は、今日ではもはや妥当性がなくなっており、既に実質的に修正または変更されているものである。
二、最高裁昭和六〇年、六一年の各判決の前後の判例の流れ
上告人らは第一審で多数の判例を引用したが、それは、前記最高裁大法廷昭和四一年判決の多数意見にもかかわらず、その後の処分性を広く認めようとしてきた判例の流れが認められるからである。上告人らは、第一審における平成元年一月三一日付準備書面において詳細に引用して検討しさらに前述したので再論は避けるが(最高限度高度地区内の特定敷地に限って高度地区の規定の適用を解除する処分が抗告訴訟の対象となるとしたものとして、横浜地方裁判所昭和六三年一一月一六日判決、判例タイムズ六九五号一一〇頁参照)、右最高裁昭和六〇年、六一年の各判例も、判決理由の単なる文理解釈ではなく、右のような判例の流れを背景とし、その流れの過程でなされた判決であることをふまえて理解、解釈しなければならない。右の多数の判例の流れに鑑みると、最高裁昭和六〇年、六一年の各判決は、最高裁大法廷昭和四一年判決を事実上修正、または変更したものである。
上告人らは、第一審において、大阪高等裁判所昭和六三年六月二四日判決、判例タイムズ六六八号二六〇頁を引用した。これは、最高裁昭和六〇年、六一年の各判決の前後の判例の中でとりわけ重要なものである。右大阪高等裁判所判決は、第二種市街地再開発事業の事業計画決定の公告により、関係者は土地の形質変更の禁止、立入調査の受忍等の法的拘束ないし制限を事実上受けるが、それが違法な場合でも訴える由のない不安定な状態のまま放置することは、人権保障に欠けるとし、事業計画決定の公告段階で右事業計画決定自体を争うことについて、事件としての成熟性が十分に具備しているとしている。このような考え方こそが、財産権、裁判を受ける権利が憲法上保障されている現行法制度のもとにおける、正しい解釈である。
第二種市街地再開発事業の事業計画決定についての右大阪高裁昭和六三年判決、土地収用の事業認定についての東京高等裁判所昭和四八年七月一三日判決、行政集二四巻六〇七号五三三頁、道路の区域の決定についての東京高等裁判所昭和四二年七月二六日判決、行政集一八巻七号一〇六頁は、右各決定等が抗告訴訟の対象となるとしているが、一連の行政手続における地位、役割に鑑みると、本件土地区画整理事業の事業計画の決定も、右各決定等と同様に抗告訴訟の対象になるものと解されなければならない。
第五<省略>